トリートニス・パラダイム 月は無慈悲な夜のＫＯ １１
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私が月に住んで良かったと思う最大の理由の一つは
地震がない事です。
―とあるルナ移住者
１１
中央第１８デバッグルームでは、せっかく増員された２名の要員を欠いたまま、新企画「バイパス･プロジェクト」が展開されていた。既に大地と基礎システムの間隙を侵食し始めた炎の破壊ルーティンを避け、重要なシステムは外部機器を迂回して展開させるという緊急処置の一環である。―この部屋から“ティターンズエリア”を操作するのは不可能ではないにしろ、通常“預言者”以上が使用する専門の管理アプリケーションは門外不出であり、その方面の初心者が冗長な言語入力と無意味にプロセスの多い「ベーシックアクセス」で“炎”に対抗するのはほとんど不可能と言って良く（それでもスティーロは何度か試み、その都度キーボード近辺を殴り付けていたのだが）、視神経と指の腱を痛めるのが関の山だった。地球出向を匂わされていたウエスギが休暇を取った事には、事情が事情だけに反感を抱く者は少なかったが、本日出勤予定のキム･ウォジが遅刻している件については一片の同情も寄せられそうでは無かった。目の前で自国の危機を表計算しながら、ろくに対応の手も下せない無力感に、スタッフは皆苛立っていた。取り分け、今回の作業の責任者を擦られたクァン・リー・ヨンホンの目には間違いなく「キムが出勤して来たら喰い殺してやる」と言わんばかりの殺気がみなぎっていた。
「エリア9881から12523までは機器センターに回して！ ロードアレンジャーは立て混んで限界よ。まったく、これだけメモリに空きがあるってのに何とかならないの！」
「一時使用で構わん。半分はそっちで処理してくれ。“アルテミス”はリンクが多くてシステム変更に時間が掛かる。―みんな過剰労働なんだから怒鳴らないでくれ、クァン。キムやトニーが到着するまでこちらは打てる手を打つしかない」
クァンの太い眉が吊り上った。
「あたしたちは新入りデバッガーの露払い？ まして一人は正規職員ですらない。当てにする前にペリオン辺りの深層管理ツールを譲渡させるべきだわ。部内全員のティターンアクセスパスを併用すれば作業は可能でしょう！」
スート―“託宣”のスティーロ・ドレンセンは少々悲しみのこもった目で、その豊かな技量を暴発させかけている彼の部下を見つめた。デバッグルームの任務はあくまでオリムポスの調整であり、彼女はまだ、この世界のみが一般エンジニア階級に門戸を開く動的な領域である事の重大性を理解していなかった。基礎ＯＳ“ティターンズ”の本質は政治エリアなのである。その構造の裏には、今の月と地球の思想バランスさえ崩しかねない、太古からの根深い闇が巣食っている。“神官”や“預言者”階級がここを封印しているのも、単なる権威付けの為とは言えなかった。だが、もはや管理職に安住の地を見い出してしまった彼らの上司の中に、突出した技量を持ち、事態を解決できる人材がほぼ失われている事もまた事実だった。ルナシティがこのジレンマから脱却したければ、あと１０年は電脳システムの改変と討議に時間を費やさねばならない。たとえ小惑星級隕石の接近を知らされる立場で無かったとしても、そんな余裕が現在のルナには全くない事はスートにも分かっていた。
「俺はティターンに３パート程のアクセス権を持っている。だが何とか出来るだろうとは思わんよ。お前は巨人族神格一人分の全体マップでも見た事があるか？ ―神システムがいわゆる『人格化』を行い、自己確認と状態維持の能力を持たされる以前の世界だ。システムバランスを取る為の稼動領域しかなく、数値の変動がそのまま突然別システムとして動作を始める事すらある。勉強はしたが全てを理解するのは不可能だった。あれを十二神を扱うように制御できる人間は上級者の中でも１０人を切るだろう。―キムやトニーの技術はアイデアであり、イレギュラーだ。いわば素人考えだから期待を掛けるだけだ。動作責任は本人だからな― クァンにはまだ“託宣”に昇格する希望がある筈だ」
痛い所を突かれて、クァンはぐっと押し黙ったままロードアレンジャーの処理に戻った。今日は職員たちも口数が少なく、不安定な静けさの中、ルームにはマシンの微かな動作音と、システムの稼動ＢＧＭのみがどこか申し訳無さそうに流れ続けていた。スート達のモニターデスクに少し眼をやり、ヒェロムは彼らに知られないルートで何処かと連絡を取り付けた。今回は単純作業が多く、管理職も総出で働いているためカムフラージュは難しくなかった。キムが出勤するまでに、長年この部屋で扱う事の無かった深層の回線を開かねばならない― クァンがおそらく納得しない形で、既に事態は動き始めていた。
「だからこいつらの事は気にするなと言っておる。お前の動作履歴は架空の名義になるから心配するな。責任はわしが取る… て、そこは開けるなウエスギ！ パーソナルじゃ。いいから“レア”に先にアクセスしろ」
「なんで“対人形対策本部”のシステムにブロックゲームが入ってるんです？」
「これも戦略シュミレーションの一環じゃ」
とある高級マンションの一室― クシャトリア、部屋の主、そして電脳世界から撤退してきてわいわい騒いでいる“妖精”達の群れのお陰で、ぎゅうぎゅう詰め状態に陥ったオペレートデスクに窮屈そうに挟まれながら、（“妖精”は透過するのだが圧迫感は実物と変わらなかった）ウエスギは極限まで疑わしそうな目をクシャトリアに向けた。
「…フェル・マルコの上司だったって話、嘘じゃないでしょうね？ まああんたが何者だろうと、こんな個人宅からアクセスしてマークされたって俺はフォロー出来ませんから」
「全く地球人てやつは心配性だの。フォローはわしの子供や孫たちがするから手出しはせんでよい。こんな事も有ろうかと以前から、第４階層までリンクできる監視員を各地に派遣しておいた。もっとも溶岩のせいで大分少なくなったがな」
「“ティターン”までって― …データ生命体が？」
「信号を送るだけじゃ。あんな闇の世界では身動きも取れん。過酷な任務を与えて可哀想な事をした」
高級技術者でも手の付けようがない別系統のＯＳに、一介の市民（身分上は）製作のフォロキャラクターが喰い込んでいるという寒い事実に気付き、それが第４階層を散歩する有様を思い浮かべてウエスギは鳥肌を立てた。―部屋の主が、幾分確信を持て無さそうな口調でクシャトリアを庇った。
「ま、実害はないですよ。この先生の作る“妖精”は愛嬌がウリでね。基本的に人間には忠実だし」
「愛嬌があるのと政治介入の罪の重さとは関係ないんじゃないのか？」
「いいから“レア”の入り口を開けんか」
この正体不明の２人に視線を半分残したまま、ウエスギの指はキーボードを走り、彼の仮のパーソナルコードはオリムポスへの進入を開始した。―オペレートの窓口である“十二神殿”の大フロアから、まずシステムベース“デーメーテール”の管轄域へ。（こういった日常無数に起こる動作は、記録されるだけで逐一神格の監視は受けない）そして女神本体の自我意識、つまりシステム中枢部にオペレートを詳細に認識されるのを避けながら、彼はまず神格検証モードを立ち上げた。システム自体を客観的に判定するため、この時ばかりは深部ティターンが連動するのである。そのリンク部分に、第４階層を開放させるクシャトリア手製の“鍵”を叩き込むと、若干の間を置いて、ウエスギは“レア”に偽の“パスポート”を滑り込ませた。ここは正念場である。対策本部室にいる全員―実体のある者、無い者双方を含めて―は息を飲み、画面に現れる深層の女神の判断を待った。が、この操作はなんとか“レア”の逆鱗に触れずに深層を通過した様子で、やがて女神は重々しく（その動きは怠惰そうにさえ見えた）第４階層のシステムオペレートウィンドウを開いた。―部屋の一同からほっとしたような吐息だけの感嘆が漏れた。
「開放させたぞ。窓だけだが」
「上々じゃウエスギ。トリートニスが何度かアクセスし、警戒反応が和らいでいる事もあるがな。―基本操作は分かるか」
周囲から取り囲むようにまじまじと見つめられ、居心地悪そうにウエスギは返事を返した。
「知識として一通り把握してるだけだ。ティターンに進入は出来ても、ここに中央やペリオンに匹敵するプログラムがある訳じゃないだろう。後はあんたらで―」
「わしらは前線でマグマ溜まりを軽減をせねばならん。言わば戦闘員じゃ。（部屋でウロウロしている正体不明のデータ生命体達が一斉に、『そうよそうよ』と相槌を打った）―火山近辺へ“道”を開いたり、周辺の掃除くらいの雑用はこなして貰わねば困るな。ウエスギ、お前は月に昇って何年になる」
久しく思い出した事のなかった履歴を尋ねられ、彼の目線はしばらく宙を泳いだ。
「…８― いや９年くらいかな。まあ里帰りした時期を除けば―」
クシャトリアは唐突に、腕でウエスギを跨いで部屋の主の肩をどやしつけた。
「この男など、本格的なシステム介入数週間目で死地に挑もうとしておるのだ。管理部の中堅エンジニアが情けない事を言うな」
「そうですよ… て、え？なに？ 私もやるんですか？」
その瞬間まで気楽な野次馬の立場を享受し、自分の存在が計算に入っているとは夢にも考えていなかった部屋の主は突然どす黒い顔色になり、目を剥いて周囲を振り返った。彼に売却された実体を持たない赤毛の少女が、やはり実体のない、歪なデザインの狙撃銃を構えたまま涙の溜まった真摯な目付きで主に訴えた。
「私も出撃するんです。ご主人様は私が倒されても構わないの？ …分かったわ。代わりにトゥイーティとフェリックスを可愛がってやって。あ、フェリックスはいっぺんにデータ食べさせると下痢をしますから。そういう時はご飯をメモリのパーテーションごとに分割してですね―」
「だあああ！」
頭を抱え込んでデスクに突っ伏してしまった主には目もくれず、クシャトリアはウエスギに重ねて言った。
「煩雑な部分はわしの子供に手伝わせる。いいから思い切ってやってみろ。ここまで来た以上お前にも戻る道はない。―それともこのままルームに帰るか？ 地球に降りて母親の顔でも見てからにしたいのか」
ウエスギの奥底に眠っていたある種の反骨心が顔をもたげた。彼は薄笑いを浮かべた。
「里帰りしても、戻る道が無い事に変わりはない。あんたを信用してみるよ。２割ほどだがな」
「聞えているか― トリートニス。坑道の状況はどうなっている」
電脳世界、“ヴォルカヌス”麓の坑道から、人間の距離感で言って１０メートル程地下の竪穴の岩の上に、トリートニスは引っ掛かったような形で足を置いていた。あと数十センチも掘れば地下溶岩の河、そして更に下部は“ティターン”の聖地であった。自分の足元の岩盤が、人間ならば火傷しかねない程の熱さに熱せられている事は彼女も感じていたが、（“痛み”や“熱さ”と感じられるのは不測のシステム破壊性の影響力である。並の“妖精”ならばおそらく忍耐できずに跳び上がっている程度の―）命懸けというだけの事はあり、些少の危機的状況は彼女の全力のバリア・ルーティンの高速回転で防がれていた。彼女に通信して来るフェル・マルコの言葉には、まるで同時に電脳世界の風景を見ているかのような異様な認識力があり、警戒したかのように少し身を引くと、彼女は肩をすくめた。
「トニーで結構ですけど」
「敢えて人様のコールネームを使う気はないよ。元気そうな所を見ると“人形”の類は発生してないんだな？ ―君の存在箇所にはクシャトリアの対策本部、私の私室、そして第１８デバッグルームからの同時攻勢を掛ける予定だ。仮ルーティンのバリアは機能してるね？ なんとかマグマ中に食い込んでさえもらえたら、クシャトリアの“定義不可銃弾”、こちらで開発した“氷”、そして―他にも何らかの同時支援を行って道を開ける。可能ならそのまま火炎を逆行し、“ヘパイトス”本体と直接の会見を行えばいい。もちろんこれは命令ではないよ。利害を共にする者同士の共闘だ」
既に塞がれ、逃げ場の無くなった坑道の天井を見上げながら、トリートニスはマルコの発言を反芻した。
「じいさんの“銃”、あなたの“氷”…て事は、キムは必殺兵器をもらってないって訳ね。援助もせず、一般執務室から介入させるおつもり？」
彼以外は誰もいない、薄暗闇に沈んだ沈黙の執務室の中― マルコの横顔の上には各種ディスプレイの明かりが点滅し、しばしそれ以外に動く物はなかった。メインモニターは一面“ティターンズエリア”の構造と地層を表す正体不明の文字列で埋められており、その各所にはこの領域の任意の操作に対応できるペリオン独特の操作ウィンドウが貼り付いていた。実の所ティターンを柔軟に扱うにはハード導入段階からメモリを複合的に構成し、それ専門の構造を作る一手間が必要で、一概にソフトのみ移動させて片の付く物ではなかった。そしてマルコのそれは彼の手で幾度となく組み替えられ、グレードを高められた独自のマシンで、高位者でもあながちに手の付けられない代物だったのである。いわばこの執務室自体が彼の「必殺兵器」であり、城であった。―言葉に詰まった時の癖で、マルコは誰に向けるでもない笑みを再びその顔に浮かべた。
「彼には彼のやり方がある。何より周囲の人間を味方に付ける才能は私よりずっと上だ。何か準備している様子だったし… さあ、開始時刻は君が決定したまえ。外から見る限り現在火口中の“ヘパイトス”は暴れていない。“アレス”が仕事中で、彼の妻が孤閨を守っているせいでもあるがね」
その頃、ＥＵＩＧこと地球統一総合政府代表サヒム・フラゲアと彼の部下たち（タカ派の外交局員オースティンが混じっている事に、不安を覚えた者は一人ではなかったが）そして月側からは代表のモードリアン、チャフスカヤ、そして発言権だけはマルコなどとは比較にならない程大きい“預言者”代表のエヴァ・ルーセント等、各部署の蒼々たる実権者たちが、“デルフォイ・ハウス”において隕石迎撃のためのフォロ討議に入っていた。しかしそれは（“アポロン”と“アレス”による誠心誠意の合理的判断にも関わらず）初っ端からつまずき、行き違い、刻々と接近する隕石の緊迫感とは裏腹に、容易に出口を見い出せない状況に陥っていた。原因は主に、地球側が“アレス”の本格動作とミサイル照準の時刻を、地球側が迎撃艦隊の配備が終了するまで引き伸ばすよう（しかもかなり強硬に）迫って来た事にあった。月側は常識的に、迎撃は最悪でも外惑星圏内（つまり木星以遠）で処理するべきだろうとの見解を示したのだが、地球側は今から地球戦艦を準備し、打ち上げ、射程距離まで接近するには最低でも数ヶ月を要する。―それでは隕石は月を掠め、地球に激突して双方の全生命を一掃するだろう、との、無意味に悲観的な論旨を持ち出し、まるで脅すかのように火星近辺での作戦を主張した。その権力と裏腹に気の弱いルーセントなどは、ついには（フォロ映像では修正されていたが）両手を振り上げて叫び出した。
「破片が火星人の頭上に墜落して報復でも受けたら、月は責任を負いかねます！ 問題は全てそちらで処理して頂けるんでしょうね！」
無造作に自作のデータチップを放り込んだ鞄を抱え、デバッグルームにキムが息せき切って駆け込んで来た時、彼にはもはや挨拶する権利（もしくは名前を呼ばれる権利）すら残されていなかった。
「―ヒェロムから聞いて分かってます！ いいわ、今日中に“デーメーテール”ベースを圧迫している主要システム下部の破壊ルーティンだけでも取り除いてくれるなら、こちらもバイパスの半分は処理せずに済みますから。やるなら手早く！」
クァンの剣幕に、「どうも」と言うため開きかけた口をしばらくあんぐりと硬化させ、やがてキムは叱られた生徒のようにコソコソと自分の端末に向かった。ヒェロムは少し様子を窺った後、キムにゆっくりと近付いて内緒話のように顔を寄せた。
「そんな訳でな。本部“ティターン”オペレートシステムを経由して仕事できる状態にはしてある。しかしま、メイン業務はあくまでもバイパスで、こちらは不測の別作業だからね。彼女は一応先輩だし、ここはひとつ刺激せんよう穏便に」
キムはキョトキョトと鶏に似た動作で周囲に首を回し、他の職員の動向を覗った。係わり合いを避けるように、スタッフのほぼ全員が見事に視線を逸らせ明後日の方向を向いているのが目に入った。ただスートのみがキムに一瞥を投げて呟いた。
「手が足りんので助力はできない。だが非常事態ならそれなりの体制は取る。俺を含め、第４階層に入れる人間はここには５人だ。どのくらい役に立つかは保障の限りでないが」
会話の糸口を見つけてほっとした様に、自分の作業回線を開きながらキムは答えた。
「いやあ、それに関しては俺も同様ですからご心配なく。他からのサポートも入りますし、まあ人生何事も挑戦ってヤツで」
「トニー嬢？」
スートの質問に、愛想良く微笑んでいたキムの表情が少し強張った。が、誰も気付かないうちにその動揺は彼の顔から消えた。
「彼女ならさる筋を通し、すでに作業に入ってます。放って置くと何をするか分からないし急がないと」
キムはキーボードも見ないまま、自宅の端末でサルベージしたとある極秘データのチップを幾つかのボックスに投入し、画面に展開させた。他の誰にも意味の取れないであろうそのファイル群― 実は、トリートニスが彼の部屋を跳梁している間に残した、テンポラリの動作痕跡であった。同僚達の厳しい視線にさらされながらペリオンのマルコ、クシャトリアの助力を得たウエスギと対等に勝負する為の必殺兵器は、キムにはこれ以外思い当たらなかったのである。彼のモニターにようやく本部経由の“ティターン”オペレート画面が現れ、（それはマルコの高度なシステムと違い、記号と数字だけの実に味気ない代物だった）キムは指定された深層のパートへと跳び、文字の海を泳ぎ始めた。“レア”から“デーメーテール”への直リンクが不能になっている部分― それが地下溶岩流の存在を示し、そのいずれかの部分に行方不明になっている彼のパートナーが潜伏している筈であった。解析不能としてアクセス拒否されたマップの「怪しそうな」箇所に、キムはいつぞやに使用したトリートニスの仮アドレスに乗せた短文を叩き込み、返信を待った。同時にトリートニスの「影」を“レア”からの指令に見せかけて、白紙部分の数箇所で暴れさせた。すべては反応待ちであった。マルコとヒェロムに無理を通してルームをこの作業に開放させた罪は、溶岩問題の解決で購わねばならなかった。この先職場を失うか残れるか― 彼にとっても賭けであった。
〔…キム？〕
やや間合いを置き、彼の元へ返信が届いた。突然キムは機関銃のような勢いでキーボードを打ち、（ソフトタッチで、叩く必要はなかったのだが）パートナーに言いそびれていた山のような苦情の一端を吐き出し始めた。
〔勝手にどこかへ行くなって言って置いたろう！ 俺はデバッグルームだ。お前の正確なアドレスか行動ルートをこちらに送れ。他の連中はもう来ているのか？〕
その瞬間― 坑道から繋がる、溶岩に喰われ、地下に通路となって広がった空きメモリ空間の巨大な回廊の中に彼女はいた。トリートニスの面前には彼女の防護ルーティンを押し切ろうとする火柱が轟音と共に立ちはだかり、キムに返そうとした彼女の返信の紙片を消失させた。本来通信など出来る状況ではないのだが、“ヘパイトス”と何とか意思の疎通を図ろうとして僅かに開いてあった回線の一端に、幸いにも彼の打診は飛び込んできたのである。火炎からはサボテンの棘のような突起が、彼女の隙と油断を見透かすように無数に発生して蠢いていた。それぞれの棘の先端はあるものは“蟹虫”、あるものは“火トカゲ”の形を形成しようと収束しては、その背後の溶岩本体の律動に飲まれて崩れていた。この不気味な“半人形”たちの中には、明白な人面、もしくはヒューマノイドの体躯の部品を思わせる物が混じっていた。溶岩に溶かされて同化した、哀れな“妖精”達の痕跡は消え去った訳ではなく、捻じ曲がった形でこうして破壊ルーティンの構成要素となっている事に気付き、トリートニスは慄然とした。なんとかキムに状況を伝えなければ― しかし、今バリアを瞬間でも開放する事は自殺行為になりかねない。トリートニスの背後にはおそらくマルコの仕事であろうと思われる、破壊クラスタと氷片の入り混じった土砂が次々に導入され、溶岩の侵攻を食い止めると共に彼女の退路をも塞いでいた。さすがの河の女神も、この壁ばかりは容易に通過出来そうではなかった。ここでやるしかない― トリートニスは意識を集中し、指を組んで腕を上げ、バリアルーティンの一端を衣服を捻るように回転させた。その先端はて細く尖り、やがて回転の速さで白色の虹彩を放ち始めた。彼女の即席の武器であった。トリートニスはこの切っ先をレイピアのように掴むと、マグマに向かって一歩足を踏み出した。
〔あんたらが機械的なファイルの固まりでなく、擬似とは言えデータ生命体の前段階である以上、自己保存の為の恐怖と痛みは持ち合わせてる筈だわ。…恐いでしょう。刺されれば本当にアイデンティティ機能も壊れるのよ〕
彼女の脅しを真に受けたらしく、面前のマグマはびくりと一瞬身を引いたが、やがて（マグマそれ自体が生命であるかのように）灼熱の塊を振りかざすと、今度はスピードを上げて彼女に振り下ろした。トリートニスは僅かに身をねじって始めの攻撃を避け、赤い拳の最も細まった部分に渾身の力を込めてレイピアを突き刺した。―音のない叫喚が洞窟内にこだまし、周囲のシステム岩盤はその圧力と振動に共鳴して、一角にひびが入った。トリートニスを討ち損ねた巨大な拳はそのまま大地に落下すると、周辺に（線香花火の末期に似ていなくもなかった）粘性の火の粉を散らしながら転げ周り、やがてその破片の一つ一つは不完全な“人形”となって、ゆっくりとその半ば崩れたフォルムを起こし始めた。トリートニスはバリアを全開にし、彼らを踏まないように足を摺って大地の安全を確認しながらじりじりとマグマ本体へと前進を始めた。やや規模を縮小した不定形の溶岩は、意思と目を持つのかと思わせる程動物的な動作でうずくまり、明らかに彼女を「睨みつけて」いた。少し現れた空間の隙間― そこから返信が返せるかも知れない― トリートニスはコンマ数秒間ほど意識を集中し、キムヘの通信を書き上げると、怪物の動向をうかがって間合いを計った。
〔…大丈夫。今なら―〕
マグマが少し後退し、身震いのような律動を起こしたその一瞬だけ、トリートニスは防護ルーティンを弱めて「手紙」をカード投げの仕草で空間に撃ち出した。それは容量が微少であるが故に土壌内で難なく転送され、キムの元へ届く筈であった。が、この聖地“ヴォルカヌス”に近い山麓の土はマグマに味方するように微動し始め、やがてそれは大きくなって本物の「電脳地震」に発展した。射出された「手紙」が大地内でフリーズを起こし、引っ掛かった事を彼女は直感した。振動で立っていられなくなり、ついには壁に手を付いて土中の返信の行方だけでも確かめようとした時、まだスピードが上がっていなかった彼女のバリアの一角を目敏く読み取った怪物の飛沫が、不完全な“人形”の形態のまま、吸い込まれるように彼女に群がってきた。
〔！！〕
成す術を失い、のけぞるようにしてトリートニスが身を引いた絶妙のタイミングに、喧しい叫び声を上げ彼女と火の粉の間に数体のデータ生命体の影が飛び込んだ。まさかそんな事態が起きるとは予想もしてもおらず、驚きで転倒しかけたトリートニスの目前で彼らは大騒ぎしながら漫画的な機関銃を乱射し始めた。
〔いやあぁぁーッ虫よッ虫！ こっち来るなーっ〕
〔僕を撃つなってば！ なんで？ どうして急に転送されたんだ？〕
〔地割れでメモリに隙が出来たのよ。―何あれ！ 人型の幽霊みたいのまでいる！〕
彼らの銃弾の多くは狙いを外し、壁や、最悪の場合仲間やトリートニスにまで流れ弾や兆弾による不本意な攻撃を仕掛けた。が、特性の弾は高等なデータ生命体にはダメージを与える事はなく、人間の戦場であれば確実に強制送還されそうなこの不出来な戦士たちは、あくまでも物量の威力で周囲に発生した性質の悪い雑魚共を次々と撃ち砕いた。彼女は自らのバリアに喰い込んだ銃弾の一つを停止させ、それを摘み上げると眉をしかめて構造を調べた。それはおそらく太古の、歴史に名を残す事なく消えていったに違いない三流の学者の論文のごく一部を押し固め、エンドレスでファイルを孤立化させたとんでもない物件だった。
“…１＋１が２にならない可能性の確率とその数値を２に戻す為の必要充分条件を定義せよ”
“謎の巨大生物の謎の巨大摂取物とそれのもたらす謎の巨大排泄物の生態におけるサイクルとは”
“ネズミ講の社会的意義”
うっかり真面目に内容を読み取ろうとし、トリートニスは頭痛を起こしかけて頭を押さえねばならなかった。程なく“妖精”たちは影の女神を狙う不遜な飛沫を掃討し、彼女の元へ駆け寄って来た。
〔お怪我はありませんか、トリートニスさま！〕
〔…あんたたち… その変な武器は一体―〕
赤毛の少女と、犬とも猫ともつかないペットキャラクターの一匹が誇らしげに胸を張った。
〔お父様の開発した“定義不能ファイル”射出装置ですわ。“人形”はただの人形ですから、こういった無意味なデータさえ拒否できずに取り込んでしまうんです〕
〔マグマ本体では銃弾ごと破壊してしまうからあまり役に立たないけど、小さな連中なら自壊するし、僕らくらいの容量の“人形”なら動きを止めるくらいの威力はあります。この先は護衛に付かせて下さい。“ヘパイトス”にお目通りされるんでしょう〕
深くため息を付いた後、トリートニスは埃を払って立ち上がった。ともあれ既に地震は治まり、キムヘの返信も異常事態から抜け出した様子だったので、もはや彼らの活躍を無視する訳にも行かなくなっていた。クシャトリアがその潤沢な余暇と能力を駆使し、この先のルートにも彼らを投入して来る事は疑いなかった。心なしか圧力を失い、更に後退した溶岩塊の向こうを見通すようにして、彼女は呟いた。
〔確かに高等データ生命体は認識対象を選択できるけど。あたしはじいさんのお節介すら断れないんだからね。ひょっとしたら高等でないのかも知れないわ。本人が思うほど〕
その頃、“対人形対策本部”では当の偏屈老人と部屋の主が手を取り合って小躍りし、主なオペレートを担当したウエスギはぐったりしてキーボードにうつ伏せになっていた。主力オペレータ−を得た喜びも手伝ってか、クシャトリアは珍しく顔を綻ばせて彼に畳み掛けた。
「何を休んどるかウエスギ。まだ増援部隊の派遣に成功しただけで、目的地のシグナルポイントにも辿りついておらんぞ」
部屋の主も（無償労働させられている事をすっかり忘却して）彼に言った。
「データ生命体が、適切なガイダンスさえ与えれば第４階層内で行動できる事が分かったのはすごい収穫だ。こんな実験は、地表に住む高級エンジニアだってさせてもらえないでしょう。少しは嬉しそうな顔をしたらどうです、ウエスギさん」
ウエスギは“妖精”達の行動履歴を削除し、足跡と証拠を念入りに消去しながら答えた。
「今の地震は“ヘパイトス”が状況を察知した証拠だ。地盤が緩んだ上、仮初にもセクタを埋めていた“マグマ”が一気に減少したら― 下手をすれば、火山ごと第４階層まで崩落するぞ」
“アレス”が職務に忙殺され、火種である“アフロディーテ”がすっかり鳴りを潜めて沈静化した筈のオリムポスは― 前にも増して平穏ではなくなっていた。大地の各所には微動が続き、“レア”からのシステムサーチが増えた事で第三地母神“デーメーテール”の信頼性が問われ始めていた。娘の“ペルセフォネ”が冥界にいる間、出来るだけ意に沿わぬ義理の息子“ハデス”の手を借りずメンテナンスを行うため、孤独な母は気を張って全システムの状態を細かく把握し、不要データを極力オリムポスエリア内で分類処理しており、その蓄積は多少の不測の事態ならば充分補償できるシステムの安全性にも繋がっていたのである。しかし今や大地には無数のひびが入り、解決を要請された現役の地母神は「ペルセフォネによる一括削除と初期状態の復刻」の選択を強硬に主張した。それはつまり― 溶岩やクラスタの隙、システムの不連続などの事態の処理を冥界システムに丸投げする方法に他ならなかった。いかにこの世界に“ペルセフォネ”が必要か神々に納得させる事で、彼女は現システムの改変すら可能だと思い込んだようだった。（要は娘を手放したくなかったのである。恐るべき２人の姑に監視されながら、一人で重責を担い続けるのは確かに苦痛であろう）もちろんそんな決定は下せる筈がなかった。膨大な動作履歴のバンクを全て失えば、いかに神々が全力を上げてもオリムポスの処理速度は極端に低下し、各所で時間制による見切り処理が発生して、システム総体の把握と管理がほぼ不能に陥る事は火を見るより明らかであった。だが、いくら説得しても（思考の一部が初期化されてしまったらしい）この母は、頑迷に首を横に振り続けた。いみじくも彼女は言った―〔いずれ、時間を掛ければスピードは元に戻ります。この世界の始めはそれでやって来たではありませんか！〕
人間と違い、いくらでも延命できる筈の電脳の世界にも― 取り返しの付かない「時間」と「歴史」は確かに存在した。たとえ真実それを理解している神格が僅かしか存在してなかったとしても。
トリートニスと共に“ヴォルカヌス”に潜入する予定のペリオン、対策本部に続く第三の基地、デバッグルームでは、キムがようやくパートナーからの通信を順調に受け取り始め、少々頭を抱えて考えている最中だった。彼のモニター内でさっきからチラチラしていたファイル群の正体は、彼女の文面からほぼ推察できるようになったものの、その独特の日常会話然とした解説は、彼女がまだ人間の仕様と限界という物をよく理解していない事を如実に物語っていた。
“…そんな訳で何とか近辺へ辿りついたけど、またマグマの圧力が上がってきたから待機中。ほっとくと火の粉で“人形”を作り始めるから気が抜けないわ。ここからだとあなたのオペレートが見づらくて困るわね。“レア”を通れるなら女神に頼んでマグマの一部を第４階層で押さえてもらえないかしら？ ティターンははっきり人格化されてないから会話し難いけど責任感のある人よ。何なら“デーメーテール”の方に地下空間の容量を一時的に広げてもらって―”
近くに居ないので彼女を怒鳴る訳にも行かず、キムはぐっと自分を抑えて返信を打った。
“場所移動するだけで何回キーを打たなきゃならないか分かって言ってんのか。今回アシスタントはいない。巨大地母神のどこが顔でどこが尻かさえこっちには判別できん。俺が用意した武器を貸すから後は自力でなんとかしろ。お前の分身だ。―首尾よく“ヘパイトス”に到着すれば、最優先オペレートモードで奴をふん縛って検査に掛ける事も可能になる。分身どもはただのコピーで自立活動はしないから、しばらくその操作で手一杯になる。健闘を祈る”
“健闘って何を―”
しかし、以降キムは公言した通り文書通信を控え、トリートニスの「影」の操作に没入せねばならなかった。刺激すればそれなりの反応はするものの、彼女のテンポラリ達は意思と心を持って目的に立ち向かえる程のバンクは持ち合わせておらず、外部データを読み込んで機能させる事のできない“レア”のフォーマットの上では、逐一転送位置や行動開始アドレスを指定してやらねば働かなかったのである。まさしくそれは、大量の操り糸でマリオネットに芝居をさせる作業に酷似していた。キムの指は普段にも増して凄まじい速さでキーボード上を移動し、彼の作業内容が分からないなりにそれとなく心配して覗き込んだ、その道のプロであるスートやヒェロムをさえも震撼させた。マーキングされたトリートニス、分身たち、そして飛沫の“人形”や増援部隊の位置― 電脳世界の光景を見る事の出来ないキムには、この味気ない記号と数値以外状況把握の手掛かりはなかった。彼の苦労に対して冷淡なクァンはキムの画面にごく一瞥をくれた後、自分の作業の手は一切休めず一言漏らした。
「自分が何入力してるか判ってやってるんでしょうね。もちろん。ブラインドに見えるけど」
キムもやはり（クァンに対してはこれが礼儀に当たる、と達観した様子で）彼女の方も見ずに答えた。
「太古の地球の伝説に『ザトーイチ』というのがある。今度調べとくといい」
「馬鹿な！ 美の女神が戦略シュミレーション機能を持ってる訳がないでしょう！」
地球との会議で大物がほとんど出払ってしまった為、普段防衛機構各部署の司令室を監督のために飛び回っているポーリンは、珍しく本部事務室に詰めていた。その分居心地のいい執務室でくつろぐ暇もなく― 結局彼女はいつものように主要モニタールームへと駆け込む羽目になった。“アレス”は現在“アポロン”や“デルフォイ”とリンクして、（人間達がそう意識していずとも）会議に参加している最中なので、彼がその愛人を訓練して自らの陰謀に加担させている― という線は有りそうではなかった。モニタールーム内では職員たち（ポーリンより地位の高い軍人も混じっていた）が、呆けたようにその美しいＣＧ画面を眺め続けていた。数値が多いと操作判断が遅くなる、という理由で最近グレードアップされ、特に画像機能が強化されたその画面には、通常の端末では展開できない“アフロディーテ”内部の光景の一端が「軍特務につき」開放され、視覚化されていた。もちろん女神そのものや、オリムポス大地の風景が見える訳ではない。それらはデータ生命体の共振に拠る主観的な視覚に過ぎないのである。彼らが目にしているのは― ファイル解説文書と“アフロディーテ”内で保護されている“妖精”たちそのものの姿だった。彼らは、それをそう表現して査証がないのなら― 明らかに「軍事演習」を行っている最中だった。匍匐し、銃撃する者、行軍する者、突撃の練習をする者― あまつさえその一部は玩具の装置を使い、ミサイル発射のシュミレーションまで行っていた。あまりの事に腰を抜かしかけたポーリンは、上官への敬礼すら忘れたままようやく声を発した。
「…戦争ごっこ？」
「かも知れません。大体“アフロディーテ”を開ける予定は無かったんです。“アレス”の提示する戦略プランを外部に発表する前に、こちらで通常行う処理を掛けただけなのに― “アフロディーテ”の一部が同時起動して介入してきました。２神の間に妙な繋がりがあるとは聞いていましたが―」
「データの流出？」
「何の為にだ。フォログラフの銃弾で地球を占領でもするのか。現実に戦闘する物理力もない連中が？ バグや悪戯にしては度が過ぎているし」
キーボードに駆け寄ってファイルを少し調べ、やや落ち着きを取り戻してからポーリンは同僚たちを振り向いた。
「特に行動目的はないようだわ。地球に“アフロディーテ”を検閲させる義務はないのだから、リンクだけ絶ってこのままにしておきましょう。こちらで処理できる問題ではありません」
ポーリンと親しい中将の一人が顔をしかめた。
「放置しろと？ たとえ悪意のないデータの混乱だとしても、私が地球人なら発見すればまず野放しにはせんぞ。それとも“妖精”主演の壮大な戦場シネマを製作中、とでも言っておくのか」
ポーリンは既に自力で切断作業に取り掛かっていた。もう少し見たがるかのように、職員の何人かは「ああ」と声を上げ人垣から伸び上がってモニターを眺めたが、彼らの野次馬根性は状況から浮く程真面目なポーリンの表情に阻まれた。画面には幾つもの確認コマンドが現れ、“アレス”は切断には手間取っている様子だった。―彼女は同僚たちを振り返った。
「だから発見などさせません。非常事態にはそう説明しておくしかないでしょう。これ以上軍からのアクセス回数を増やす方が余程危険だわ。デバッグルームには連絡して置きますから通常処理に戻って下さい」
下士官の一人が肩をそびやかした。
「ルームを過信するのはどうかと思います。いまだに“ヘパイトス”トラブルに掛かりっきりじゃないですか。こんな椿事にまで手を付ける余裕はないのでは？」
ポーリンは、軍人達が少し意味の把握に戸惑うような笑顔を浮かべて答えた。
「彼らは我々よりは余程“妖精”たちと懇意です。今にきっと分かる時が来るわ」
破壊ルーティンの集大成― 溶岩流を押し切る地下の無謀な行軍は今も続いていた。トリートニスがキムの派遣した「頼もしい味方」を目にした時― 彼らはテンポのずれた、そしてやや黒ずんだトリートニスの出来の悪い似顔絵のように見え、トリートニス本人のみならず、同行する“妖精”たち（いつの間にか１０人以上に増えていた）はげんなりし、もしくは呆気に取られて戦闘意欲を失った。が、テンポファイルから製作されたこの分身たちは到って元気で、口々に意味の通らない言葉を喋りながら坑道の溶岩の周囲を飛び交って翻弄し、赤い泥水の幾分かは分身の消えた岩盤の方向を追い掛けて大地の亀裂の中へと分流した。事実地下坑道の内圧は下がり始め、作戦は基本的には成功裡に展開していた。―彼らの喋りさえ普通であったら。
〔家電製品クライナラ思イ通りニ親切デ言ッテルノヨ〕
〔ダカラ古代ノ酒ノフェル・マルコガ〕
彼女の過去の発言以外サンプルデータが無いのだから仕方ないとは言え― トリートニスは赤面し、やがて頭を抱えて背後を向いてしまった。“妖精”の一人がポツリと質問を発した。
〔…エンジニアとこういう会話してらしたんですか？ トリートニス様〕
〔してないってば！〕