掲載／ういっと（年代、号数不明）
ジャンル／ただの文学（…）
「タバコはさぁ… 吸ってる本人より、そばにいる人の方が肺ガンになる確率が高いんやて… 知ってたぁ？」
言いながら、彼女はふかーっと煙をはいた。実になにげない目つきでこっちを見ている。こういう場合、どう言えばカッコ良い受け答えになるか、とっさに頭を廻らしたが思い浮かばなかったので
「えーんや どうせ俺 長生きはせえへんつもりやから」
と、まあ、いつものパターンで答えておいた。 ―しかし… さもあらん。ここ、彼女の部屋には今やミスタースリムの煙が充満して、物体はみなおぼろに見えている。これじゃ俺自身が吸っているのと変わらないのだ。“わたしはタバコは吸いません！”とうそぶいてる連中だって、ニコチン入りの大気を呼吸しているんだから、やっぱり何本かは吸っている事になるんだという。日本全国ニコチン中毒だ… ―と、ここでふとタバコの連想。タバコ→成人→就職→今日来た採用通知… そうだ、まだ彼女に見せてなかったっけ。そこで、カバンをひっぱり寄せて、中をさぐる。
「あった… ほれ！ これ採用通知。ええやろ！」ぴらぴら見せびらかすと、
「ふーん 良かったやんか」 …ふかー… 彼女はやっぱりなにげない目つきでこっちを見た。
「うちの学校にも、そこを受けた子がおったわ… 受かりやって… いや、落ちたんやったかな？」 ふかー…
あっさりしたやつじゃ、まったく。
彼女は高校三年、俺と同じ年である。そして、学校は違うが、同じく中間考査を明日にひかえていた。俺は第一志望の会社は落っこちたものの、こうして第二志望に就職が内定したわけだから、不謹慎な言い方をすれば“卒業さえできれば根テストなんてどうでもいい”わけだが、彼女の方はそうはいかない… はずである。美大を受ける、と本人は言っている。それを、学校帰りに俺がふと立ち寄ってしまったため、昼下がりから、そろそろ日も沈もうかというこんな時間まで、二人して部屋の中でぼけーっと雑談をかわすことになったのだ。俺が一方的に迷惑をかけているのか？ ―しかし、彼女はテストのテの時も頭の中にない、てな顔をしてふかー… と煙りを吐く。要するに不謹慎なのだ。俺も彼女も。 ―ただ、実を言うと、俺はタバコを吸ったことだけは一度もなかった。“そんなワルイコやないわい”―だが、こうして彼女を見ていると、「ワルイコ」という言葉すら煙になって消えてしまう。それほどに、彼女はなにげないのだった。まだ、第二次性徴の顕著でない中学生にさえ見える童顔の彼女が、タバコを手にベッドに座っているその姿は、部屋の様子に溶け込んでしまうほどにおそろしく「なにげない」。なぜか、吉田秋生のマンガを思い出した。
彼女は一本のミスタースリムをきっちりと吸い終え、灰皿代わりのスチール製小物入れに吸い殻をしまう。シケモクの価値すらなくなったフィルターが、整然とその中に収まっている。それがサンリオの小物入れであるのも、また奇妙になにげない。ふたをパタンとしめて、彼女はそばのマッチを手に取り、擦った。しゅぼ… こじんまりした火がつき、ろう製の軸木がチリチリと焦げる。と、ふいに軸木をピン！ とはじく。火が、ふっと消滅するように消える。 ―面白い消し方だ。今度やってみよう。
「あー、そろそろマッチなくなって来たわ…」つぶやきながら、彼女は次のマッチを取り出す。そして、何度も何度も“はじき消し”を繰り返し始めた。一人遊びを始められると、こっちは手持ちぶさたになる。俺は、まだ手に採用通知を持っていたことに気付き、ふと「現実」に立ち返ってしまった。そう、彼女の世界と、俺の俺の生きてる世界には「現実」と「夢」ほどの距離がある… しかし、人間は現実には現実の、夢には夢の対応のしかたで適応しちまうもんなのだ。だから俺は彼女の世界に違和感を感じないのだろう。“ ―あ…しかし彼女の世界かて、しっかりと「現実」やんか” ―すると…俺の「現実」てのは何なんだろうか？ ―学校と、そこにいる友人連が頭に浮かぶ。そうか、今んとこ、俺の現実はこれだけ―学校内部の世界だけなのか。 ―素敵な、俺の学校。平和で、子供のように真面目で、そのくせ屁理屈達者な生徒たち。閉鎖的だ… だから自由だ… キンギョバチだ… 俺はもうすぐそのキンギョバチを追い出される金魚だったのだ。今まで忘れていたが、会社はキンギョバチじゃない…
しゅぼお… 火が目の前で燃え、ふっと消えていく。
キンギョバチを失えば、金魚は遊べなくなる。あの楽しい論争ごっこ… ボキャブラリー見せ合い競争、あげあしとりの逆説ごっこ、知ったかぶりっこにかまのかけ合いっこ… できなくなるのだ、なにもかも。しかも、今の俺にできることといえばこんな「金魚の遊戯」ばかりである。これを失った金魚は何になるんだろうか？ いや、ひょっとすると―
「ねー見てー ここ、こないだ焦がしてしもてん」
ふいに彼女が言った。敷布団のシーツの一点をつまんでいる。
「あほ！ 寝タバコは火事のもとやねんぞ」
「寝タバコと違うもん！ これやっとったら、マッチの頭が飛んだんよ」
おかしらつきの、炭化した軸木を右手でいじくりながら、彼女は言った。 …やっぱり、こういう遊びは良くないのだ。やるまいぞ。
ミスタースリムは残すところあと一本である。彼女はそれをひっぱり出し、「最後の一本」とつぶやいた。そして、ふと思いついたように、こっちを向いて言ったのである。
「吸ってみる？」
ワルイコ！ ワルイコ！ という声が、とっさに頭の中にひびき渡る。しかし、彼女は“どっちでもいいよ”と言いたげな、実になにげない表情でもってそれを中和してしまう。俺はタバコをくわえた。彼女がマッチを擦って近づける。 ―火がつかない。
「あのね、タバコってね、吸い込まないとつかないの」
さとすように彼女が言った。 ―え？ そ… そーやったの？ 知らんかった… と言いかけた言葉をひっこめて、俺は代わりにこう言った。
「うん… すまん、もう一回つけてくれ」
しゅぼ、と二回目の火。今度は失敗せんぞ、と決意も新たに、すぱ、と息を吸い込んだ。ちりちり… すぱぁ… ふう…
「メンソールなんよそれ。ハッカが入ってるの。すっとするやろ？」
―す？ う…うそや… 何の味もせんやんか… たしかに少し口ん中が冷たくはあるけど… 俺はあせってすうぱぁ、すうぱぁと二回くり返したが、やっぱりあんまり味がない。タバコってのはニコチンだ。にちゃにちゃのヤニの霧なのだ。こんな筈があるもんか。そこで、思いっきり深呼吸。すうー…
「がはごほぎひげへへぐへごは！ げへっ、ごほがはぎひっ！ はごっ！ はふっ！ は…」
「よしよし、もうやめとき」
彼女はタバコをやさしくとり上げ、自分で吸い始めた。
俺は、しばらくせき込みながらそれを眺めていた。彼女にはどんな味がするのだろうか？ ヤニの味？ …とは思えない。キャラメルの味？ ―そんな感じでもない。ひょっとすると… 彼女は煙と同化するために吸っているのではないだろうか。味もクソもなくて… ふとそんな考えがよぎる。 ―気がついたら、外はすっかり日が落ちていた。スリム・メンソールのハッカ入りの霧が、なにげなく漂うさまが、暗い窓をバックに浮きあがる。
（明日はテストである。早く家に帰らなければ…）
（こんなことしてると知ったら、かあちゃん怒るだろうなあ…）
帰りの電車の中で、気が付くと俺は一生懸命息を吐いて、タバコ臭くないかどうかを念入りに調べているのだった。
ＥＮＤ
〔解説〕
内容そのまんま、高校卒業直前に書かれたもの。なにせ高校生なので、文や言い回しは極めて未熟なのだが、いまだに「小説」としては一番気に入っている。現実の出来事に取材したものかどうかは、気にするべからず。